八幡町は,1953(昭和28)年三原市との合併までは,御調郡八幡村であり,その昔,平安時代には,佳質郷で御調七郷のひとつと称せられ,古くから藤原氏の封地であった。今の篝には,永正年間(1504〜
1520)前に東山城が築かれていた。

 史跡としては「御調八幡宮」があり,和気広虫の創立と伝えられ,文化財を数多く有し「西の吉野」の称でも知られている。なかでも国の重要文化財指定(1917(大正6)年8月3日)の木造の狛犬は有名である。その他,県重要文化財7点等が,高床式,切り妻造りの美しい収蔵庫(1971(昭和46)年10月完成)に収められている。境内の「しだれざくら」もみごとである。また,社殿裏の天然林は,シイを主として多数の樹種が混交し,「御調八幡宮の社叢」として県天然記念物に指定されている。春は花見に,夏は清涼閑静の地,秋はもみじの地として,訪れる人も年々多くなっている。1996年11月には,やはた川自然公園(八幡小学校児童会が命名)が整備され,三原市の観光地・憩いの場としても期待されている。
 八幡古墳群は,美生を中心に点在し,20基余りを数えることができるが,盗掘されたもの,崩壊したものが多いのが残念である。美生小丸1号古墳は,かなりの
大きさをもち,学校にも近く格好の教材となっている。願成寺古墳は,三原市重要文化財に指定された。(1981(昭和56)年)

 篝には,御調川の侵食による篝渓谷に「おう穴」が形成され,8つを数えることができ,三原市天然記念物に指定(1972年5月25日)されている。付近には,図書館(マザー文庫)もあり,将来期待される佳境のひとつといえよう。なお,郷土の先駆者である高楠順次郎博士の碑も,御調川辺にあり,「あさな夕なに仰ぎて見む里の子ら他山に誇れこの碑を」の歌が刻まれ,親しまれている。



 八幡町は,東西16.3km、南北2.7kmの四国の形状を呈した地形で,中央に八幡川,西に御調川が流れて,芦田川の上流をなしている。この流域及び山沿いが耕地として発達している。旧市内とは竜王山(665m)大峰山(610m)が遮断した形でそびえ,その鞍部がV字谷を作り,備北と備南をつなぐ重要な交通路となっている。人口は,1080人(男517人・女563人),戸数289戸(1998年3月31日現在)となっており,わずかずつではあるが減少傾向がみられる。産業は農業を主体としているが,三原市や府中市への労働力の流出が目だち,専業農業はほとんどないといってよい。米作を主としている。

 現在,山陽自動車道が開通し,近くに広島空港が開港したことも加わって,車の流れや人の流れに大きな変化が見られ,八幡町も大きく変わりつつある。